障害者ってなんやねん?

私の体験談

今回は私の子供時代の話をしたいと思います。

JOSE大地に立つ

197〇〇年 JOSE誕生です。可愛く生まれてくる予定がへその緒が首に巻き付いて誕生しました。顔色も真っ黒でなんかこれはあかんのとちゃうかなぁ?

まあでも何とか無事にこの星に生を受けました。生まれつき脳性麻痺で歩き出すまでに3年かかりましたがその後はすくすく成長して近くの幼稚園に入園。でもこの時から協調性なしです😢

幼稚園での思い出はなんでみんなで一緒に歌とか歌わないとあかんのかって言うのと滑り台の順番を抜かした子に石をぶつけて怪我をさせてえらい怒られた事ぐらいです。クレイジーやね。

まだこの時期は自分の障害の事は分からなかったで。そんなに苦労した記憶も無いです。

小学生になっても健常者と一緒に勉強していたので障害については意識していませんでした。

この時期に習字を習わされましたが習字の先生が赤の墨で修正するのが嫌ですぐに辞めました。

小学生の頃は3時間目くらいの時間になると特別学級に行くようの言われて3年生の前半までは行っていましたが。そこでは勉強もせずに遊んでいるだけだったので好きになれず勉強がしたかったので担任の先生に言って勉強がしたいのでもう特別学級に行きたくないと言って次の日からは行かなくなりました。

小学校の間は体育の時間も参加してましたが高学年になるとやはり健常者の子との差が広がってきました。なので運動会は大嫌いでしたね。雨で中止になるといいのになぁといつも思ってました。

中学生になると少しずつ学校が嫌いに…

この辺の歳になってくると完全に障害を自分でも意識していましたねぇ。やっぱり体育の時間になると見学が増えました。あとは美術の時間もしんどかったですね。字も書きづらくなって少しずつ読めない字になってきた様に記憶してます。

ジストニア(不随意運動)で頭や身体が何かの大きな音がするとぴくぴく動くのでおちょくられたりもしてました。最初はやり返していましたが段々と面倒くさくなってしまいました。

勉強は好きだけど学校には行きたく無くなったので登校拒否になり休むことが増えました。

3年生になると登校しない日が多くの担任が家に何度か来て色んな話をしたのを覚えてます。この担任の先生は1年生の時も担任の先生だったので自分の事は良く分かってくれていました。

どうしたら学校に来る様になるのかって聞かれたのでおちょくるのを辞めさせてくれたら登校するって言ったら自分が休んでる時にホームルームで話してくれたらしくおちょくられない様になったので登校するようになりました。今でもこんなしっかり話してくれると障害を気にせず安心出来ると思います。

私はいい先生にあったので良かったです 健常者の子と同じように扱ってもらえたのは嬉しいです。

まあでも鉄拳制裁も何度かありましたけどね。最後の方は自分をおちょくっていた生徒たちとも一緒に遊んだりしてたので、障害に理解のあるいい先生にあたるのは大事だと今でも感じています。
それにしてもよぉどつかれたなぁ(笑)

今回はこの辺りで続きはまた次回書きたいと思います。読んで頂きありがとうございました。

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