今回は漬物工場を辞めた後からの話をしたいと思います。
思っていた以上に厳しかった就活

漬物工場を辞めた後少しの間は身体と心の休憩をしていました。
この時の私の手帳の等級は3級でしたので障害年金を受給する資格はありませんでしたので
次の就職先を見つけないといけません。でも私の中ではどこか見つかるだろうと思ってましたが
ハローワークに仕事を見に行き何件面接を受けてもダメでした。諦めずに面接を受け続けて
ましたが落ちるばかりで仕方なく受けた期間限定道路清掃作業の仕事に受かり少し安心しました。
この仕事も半年間限定なので期間が終わればまたハローワークに通う事になるのですが。
ハローワークには週に2,3回は行っていたのでもう顔見知りになってしまいました。
全然嬉しく無いですけど(笑)この時 担当者に安い仕事は受けないようにという事を言われました。
能力に見合う仕事を探すことが大切やでってよく言ってくれてました。
それでも面接を受ける日々が続きましたが次の就職先は全く見つかりませんでした。
50~60社は受けました。まず最初に聞かれるのは出来ない事はありますかって言う質問です。
なんで出来る事を聞かないのか?いつも心の中では思ってましたが仕方ないと割り切ってました。
面接担当者が合格ですって言ってあとから上司に報告したら駄目でしたとかも結構ありましたね。
悔しい思いで一杯ですけど、まだこれはマシな方です。一番腹が立つのは何と言っても
ハローワークから言われたので仕方なく面接だけでも
最初から採用する気は無いけど面接だけしとくかなって言う会社も結構あり何回か喧嘩ですよ。
こっちは必死で就活してるんや、ふざけるなって感じでした.喧嘩上等ですから(笑)
結局見つかるのは期間限定バイトばかり。段々と脳性麻痺の影響か身体の方も調子が悪い日が
続いたので手帳の等級を見直して診断書を書いてもらうためにいまも通っている病院に
行ったら等級が2級になりましたそこで初めて障害年金請求をして今も受給出来ています。
そこで初めて手帳の等級と年金の等級が違う事を知りました。最初は何も分からないので社労士に
依頼しました。その事を主治医に言うとアホやなぁもったいないっていわれましたね。
ああいうのが居るから不正受給が増えるんやって言われてそんなもんなんやなって思い次からは
社労士は辞めましたけど今も受給出来てるので主治医が正しかったんやなぁとよく覚えてます。
私の主治医は脳性麻痺の事や対処法などを的確に教えてくれるので凄く感謝してます。
納得のいかない事はとことん聞くのですが学会の話とかもしてちゃんと説明してくれます。
皆さんの中には年金あるのに働かなくてもって思う人もいると思いますが人間仕事は必要ですよ。
何故身体の痛みがあるのに働くのか❓
今は在宅ワークですがそれでも仕事をしてお金をもらえる間は辞めないと思います。
身体と精神の限界はだいぶ前に超えました。鬱もありますがそれでもできる限りは仕事をしたい。
お金を稼いでライブに行ったり日本中のまだ行った事のない美術館や博物館にも行きたいですが
一番は社会との接点を持ってたいって言うのが大事な理由です。働きたいと思っている障害者は
沢山いると思いますが日本には障碍者を可哀想な存在だと考える人達がいるのは悲しいですね。
このブログを読んでる方がどこかにいて少しでも障碍者の事に興味を持って欲しいです。
当事者の私が書くことが大事だと思ってます。のんびりとお付き合いのほどお願いします。
まだまだ書きたいことは沢山ありますので、私ものんびりと色々と書きたいと思います。

コメント