さて中3の最大の課題は高校受験です。私も高校受験の勉強をした様な記憶が。
知らないうちに養護学校の話が進行?

中3の二学期になると進路の話し合いがもたれると思います。私も当然進路相談をしました。
その前に今まで学校の事には殆ど口出ししなかった父親が私に内緒で担任と話を知っていたらしく
相談も無しに養護学校の入学の話を進めていまし。私としては寝耳にミミズの話でしたが
養護学校の見学に父親と二人で行くことになりました。
私としては行く気はなかったのですが言い出したら聞かない父親なので渋々行きました。
公立高校を受験するのは自分で決めていたので見学した後に断るつもりで行ったのを覚えてます。
一通り見学した後に養護学校の先生が父親にお子さんは来たくないらしいですよって言った時の
父親の顔は今でも記憶に残ってます。半分怒ってるような予期していた様な表情でしたね。
帰りの車は気まずい雰囲気になってましたが行きた無いなら先に言えって言うのでどってみち
こっちの意見聞かんと決めたんやから現地で断った方がええやんって言い返したら笑ってました。
養護学校が嫌では無かったですが周りが障害者同士の環境に慣れるのが嫌やったんやと思います。
まさかの受験失敗です。落ちる想定は0%だったのが
なんやかんやでが公立高校入試も決まり担任からはまあ確実に受かるので安心やって言われて
調子こいて受験勉強もそこそこに遊んでました。受験が終わった後も自分では確実に受かったと
思ったのが合格が張り出されたのを見て愕然😢番号があらへん。ヤバい落ちてるこれはあかん。
担任も最初は冗談やろって感じでしたが高校に連絡し聞いたら不合格ですって言われてやっと信じてくれました。私の字が読めなかったのが原因でした。仕方なく夜学の二次を受けて難なく合格。
自分では想定外の就職活動開始ですがそんなに甘くはない
最初のうどん屋は2週間で障害者手帳が無いのが分かり解雇です。その次は弁当屋ですが給与からは謎の訓練費と言うのが引かれていました。ここは10ヶ月くらいは働いてました。
次は中央市場の卵屋に八百屋を転々とアルバイトしましたがまだ障害者手帳を取得しておらず
どっちつかずの状態でした。今から思えばもっと早くに手帳の取得して置けばとは思います。
結局は父親の扶養から外れるので正社員登用の為にやっと手帳の取得です。最初は4級でした。
正社員になったのはかかりつけ医の紹介で漬物工場に勤めるようになりましたが環境は・・・
特に冬は辛かったです。外での作業は水仕事が多いので寒さと冷たさで嫌でしたぁ~~~
力仕事なので一人で5~60Kgの物を待ち運んだりしてたので腰痛が余計に酷くなるばかり。
肋間神経痛もあり結局は体力の限界もあり11年で退職しました。ここからの就活は全然でした。
続きは次回の記事で書きたいと思います。それではアディオス😊
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